IT大国インドでインターネット接続

グルガオンの自宅でノートパソコンをネット回線につなぐことにした。

 

一人目の中年男は約束の時間に二時間遅れでやって来たが、あっという間に

壁工事を終えると「もうすぐ別の人間がお宅を伺いに来ます」と言い残して

帰ってしまった。

 

二人目の小僧はそれから三時間後に現れた。しかしこの小僧もWiFiのデリバリー

だけ済ますと「取付業者は後から来ます」と言って、すぐに立ち去ってしまった。

 

通信会社との電話でのすったもんだの末、数週間後に三人目の男が派遣されて

きた。この青年はWiFiの配線が専門で、見事な手際で仕事を終えると、

「接続確認のためにノートパソコンを貸して欲しい」と言った。

 

しかし私のノートパソコンは会社に置いてある。

私はこの青年が気の毒になったものの、WiFiを取付けるためだけに何日も欠勤

する訳にいかなかった。「今から車で会社に行ってパソコンを取って来るので、

30分自宅で待機して欲しい」私はそう言い残して慌てて玄関を飛び出した。

 

ところが、行きも帰りもいつものごとく大渋滞。しかも会社に到着するや、

四方山のインド人から長談義に引きづり込まれ、自宅に戻ってきたのは二時間後。

さすがに温厚だったはずの青年も、床にへたり込んだまま憮然としている。

 

すでに夜も更け始めている。青年は私のパソコンを手にすると直ちに接続確認を

始めたが、WiFiはうんともすんとも言わない。青年は、「屋外にある配線システム

に欠陥があるに違いありません。後日、専門の工事屋を派遣しましょう」と言って

引上げってしまった。

 

再び数週間後、四人目の工事屋が約束より半日も遅れてやってきた。

叱りつけたところ、彼も大渋滞に巻き込まれたらしい。であれば致し方あるまい・・・ともあれ、彼が梯子に登って、玄関上の配線システムをこねくり回しても

事態は解明しない。

「ミスタール!問題はご自宅の配線システムにあるのではなく、マンション全体の

統合通信制御室にあるようです」

私と男はマンション一階にある統合通信制御室に向かったが、「こんなところで

なにをしているんだ!」と管理人。

「2ヶ月もネットがつながらず・・・」

「ここに入る入門許可を取ったのかね?」

「もちろん取っていません。許可を取るのにどれくらいかかるんでしょうか?」

「たぶん2週間じゃ」

「インドの2週間ということは、最低1ヶ月待ちということですな・・・」

私は肩を落とした。

 

こうして5週間後に入門許可が下り、さらに高度な技術を持つ五人目の工事屋が

派遣された。すでに通信会社にWiFi設置の依頼をしてから3ヶ月以上が経って

おり、私の頭の中では、もはやインターネット接続のことなど完全に消え失せて

いたが、とうとう接続は実現したのだった。

ホテルパラゴン

世界の奥地はともかく、大都会で汚い安宿と言えば、インド・コルカタにある

ホテルパラゴンが著明度と汚さの点で際立っているだろう。

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コルカタはかつてはカルカッタと呼ばれ、「世界で最もダーティーな街」との

汚名を与えられるほど、インドの数ある大都市の中でも、喧噪と猥雑さが際立って

いた。

 

そしてこの街には安宿が集まるサダルストリートという有名な通りがあり、

世界中のバックパッカーやヒッピーの巣窟となっているのだが、このサダル

ストリートの片隅にホテルパラゴンというどうしようもなく汚いホテルがある

のである。

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(これだけ汚いにも関わらず、屋号をホテルとしているところに、オーナーの

粋を感じるのは私だけであろうか)

 

今でも相部屋は200円くらいで泊まれるようだが、私が初めてここに泊った

1995年もそんな値段だったように思う。

 

当時の私はノミだか、シラミだか分からぬバカ垂れどもに一晩中襲撃された挙句、

身もよじれるほどの腹痛が襲ってきたので共同便所に駆け込んだが、トイレット

ペーパーがないのは言うまでもなく、断水でにっちもさっちもいかず、高熱まで

出てノックダウンという始末だった。

(要するに、ここに泊まったというよりも、一晩中起きていた訳である)

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私はこの20年間でバックパッカーから企業の駐在員に変身を遂げ、インド人の

部下と共にスーツ姿でコルカタを訪れる機会を得た訳だが、久方ぶりにホテル

パラゴンを覗きにいくと、相変わらず汚いこと!

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どうりでインフレなどどこ吹く風で、20年もの間良心的な値段設定を維持して

いる訳である。

 

バックパッカーの登竜門ともなっているホテル・パラゴン。粋なオーナーには

いつまでもこの経営スタイル(他社を寄せ付けない圧倒的な汚さと安さで勝負!)

を貫いて欲しいものである。

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サダルストリートの与作。

 

 

 

インドの水

日本では来客者にお茶を出すのが一般的だが、インドでは水は貴重品であり、

来客者に水を出すのがもてなしとなる。

現代のインドでは特に富裕者層であれば、ペットボトル(大型タンクもある)

や浄水器(電気式からフィルター式まで多様)の水を飲むことが多いが、

蛇口水を飲む場合でも、いったん煮沸してからコーヒーやチャイにして飲む。

昨今では、テレビなどを通じた医者の啓蒙も多く、ほとんどのインド人は水に

意識的なのだ。

私は商談の際にインド人から出された(出所の知れぬ)コップ一杯の水を嫌と

いうほど飲んだが、そのこと自体で下痢になったことは一度もない。

とは言え、インドには中産階級以下の人間の方が圧倒的に多い訳で、彼らの

半数程度は蛇口水をそのまま飲んでいると推定される。

 

日本人がインドに行く場合、高級ホテルでシャワーを浴びる間も目をつぶる

くらいだから、蛇口水を飲む人はまずいないが、それでも日本ではありえない

激しい下痢をするのは、やはりこれまで何回も述べてきたように複合的な

要因—猛暑、香辛料、街の激しい景色、騒音、カルチャーショックなど—

によるものだろう。

 

ちなみにガンジス河で出会った40年放浪中のヨギの大聖も、私と一緒に

デコボコを道の旅を何日か続けた後、風邪を引き、腹の調子がおかしくなった

こともあるので、日本人諸氏におかれては大威張りで下痢にかかって頂きたい。

インドの新人類より学ぶインドの現代社会

インドの受験戦争が過酷なことは知る人ぞ知るところであるが、インドの超難関

大学を卒業したばかりのタルンがかつて私の部下となった。生まれた時代と場所

さえ違えば、私がタルンの部下になるべきところだが、 そこは人生の不条理で

ある。私はタルンと様々な土地を出張したが、彼との出会いを通じて、インド人に

対する印象とインドに対する認識が少なからず変わったと言える。

 

「このようにインド各地を出張するのは好きかい?」

「Sir(通常、インド人は階層や年齢が上の男性を名前ではなくSirと読ぶ)、いい

機会を与えてもらえて、とてもラッキーと思っています」

「旅行が好きなんだな」

「はい、子供の頃、親に連れられて海外旅行を三回経験しました。ヨーロッパと

オーストラリアに行ったことがあります」

「俺も旅行が好きだけど、インドの鉄道は時間が読めないのがストレスなんだよな。

いつも不思議に思うのだけど、インド人は電車の出発が二時間も三時間も遅れる

ことに平気なんだろうか?」

「いいえ、そんな事はありません。先日、パンジャブ州の親戚の家に行くため、

ニューデリー駅発の電車の切符を買ったのですが、始発にもかかわらず、二時間

以上も待たされて、本当に苛々しました。このようなことは時間の無駄であると

しか言い様がありません。しかし、時間の観念に欠如しているインド人が多いのは

事実で、これはインド人が改善しなければならない点だと思います」

「それにしても、恵まれた家庭で育ったんだな。お父さんは何の仕事をしている

の?」

「南部の町で自動車タイヤの小売店を経営しています。兄が父の仕事を手伝って

います」

「じゃあ、タルンはグルガオンでひとり暮らしかい?」

「はい、下宿屋で相部屋生活を送っています」

「何歳だっけ?」

「二十五歳です」

「趣味は?」

「車が好きで、先日、マルチスズキの車を中古で買いました。会社には車で来て

います。週末はすることがないので、典型的なインド人みたいに自宅で映画を

見ています」

「スポーツは何かしているの?」

「週に何回か、出社する前に会員制のジムに寄って、筋トレをしています」

「月収はいくらもらっているの?」

「八万ルピー(十六万円)です」

「新入社員の割りにいい給料をもらっているんだな。会社の食堂でランチのカレー

を食べても五十ルピー(百円)なんだから、金が貯まってしょうがないだろう?」

「そんなことはありません。もっといい給料を出す外資系企業はいっぱいあり

ますよ」

「大学では何を専攻していたの?」

「マーケティングを専攻し、MBA(経営学修士)を取得しました」

「だから、いつも飛行機の中で、英語で書かれた経営学の分厚い本を読んでいるん

だね?」

「そうです。昨今インドでは多くのビジネスチャンスが生まれてはいるものの、

厳しい競争に勝ち残って、キャリアップしていくためには勉強は不可欠だと

思います」

「インドで大学に入るのは難しいじゃないの?」

「はい。私の大学はインドでもトップテンに入る大学ですが、毎年十万人の学生が

受験して入学できるのは二百人。豪華率は〇.二パーセントです」

「そんなに優秀だったのかい?」

「本当はもうひとランク上の大学に行きたかったので、その大学に受かっても

全然嬉しくありませんでした」

「こんにゃろう!オメーって奴は嫌味な野郎だ!ところで、大学は男ばかり

だったの?」

「そうですね、中近東やアフリカからの留学生もいましたが、九割は男でした」

「女が少ないのは寂しいね」

「Sir、そうは言っても、みんな勉強でストレスが溜まるので、週末にはパーティー

をやっていました」

「女でも酒は飲めるの?」

「酒だけでなく、タバコもセックスもやります」

「インドの女性にそういうことは許されているの?」

「表向きは許されていません。インド人は二つの顔を持っていて、本当はセックス

が大好きですが、それを人前で見せることはありません。私に言わせれば、

インド人は世界最大の偽善者です。」

「結婚相手はどうやって見つけるの?」

「おそらく今でも九割方の国民は見合い結婚だと思います」

「結婚する場合は、必ず親の同意を得る必要があるのだろうね」

「はい、そうです。親の同意がないと、法律的に結婚は成立しません」

「それでは、親はどういう視点で相手のことを判断するのだろうか?」

「宗教が同一であることは絶対条件で、その次はカーストです。カーストが違うと

ライフスタイルや価値観が違うので、結婚したとしても、お互いが相手の習慣に

合わせるのが難しいのです」

「カーストはどのくらいあるのだろうか?」

「何千と腐るほどありますが、名前を聞けば、相手がどのカーストに属するかは

だいたい分かります」

「じゃあ、例えば十人の女性が学校にいるとすると、どれくらいの女性がアシーム

と同じレベルのカーストに属しているのだろうか?」

「おそらく一人でしょうね。ですから、結婚相手を探す時は、親や友達の助けを

借りながら、これこれのカーストでいい人はいないか探すことになるです」

「もしも、その十人のうち、カーストは低いけれど、知的で、美人で、タルンに

好意を持っている人がいたとする。タルン自身も彼女に対して好意を抱いた場合、

彼女のカーストが低いがために、君は恋愛感情を抑制するのだろうか?」

「そんなことはありません。カーストの相違が原因で、恋愛中のふたりの結婚を

親が許さない場合、子供は自殺すると言って親を脅迫するケースもあります」

「結婚する場合に、女性の側が持参金を用意しなければならないというのは

本当かい?」

「その通りです。子供がふたりいたとして、一男一女だったらまだいいのですが、

ふたりとも女だったら、親は大変です。親は子供の結婚のために、お金を貯め

続けなければなりません」

「だから、女の子が生まれても人は喜ばないらしいね」

「残念ながら、その通りです」

「それについて、どう思う?」

「インドの悪しき習慣です」

「いずれにしても、恋愛も結婚も簡単じゃないんだな」

「宗教や社会的な拘束の強い国ですから、恋愛や結婚だけでなく、離婚はもっと

難しくなります。今の時代でも、インド人で離婚するケースはほとんどありません。

特にヒンズー教徒の女性であれば、一度離婚したら先進国のように再婚することは

難しいですし、社会的にも苦しい立場に置かれることになると思います。

私自身はこのような考え方は非常に古臭いものであると思っていますが」

「君のカーストについて聞いてもいいかい?」

「私の苗字は戦士を生業としていたカーストです。上級カーストのクシャトリアに

属しますが、全人口に占める割合は非常に少ないカーストです」

「今でもカーストによる差別のため職業が固定化している事実はあるのだろうか?」

「それは無いとは言い切れませんが、都会ではかなり薄れてきていると思います。

今のインドは実力社会に移行しているので、宗教やカーストに関わらず、能力さえ

あれば高い地位に付くことも不可能ではありません。他宗教の人やヒンズー教の

低級カーストの人が、政治や経済の要衝についているケースはいくらでもあります」

「君は宗教に対して、どういう立場を取っているの?」

「ヒンズー教の家系に生まれましたが、個人的に宗教は信じていません。正直な所、

奇跡とか、信仰とか、宗教は前時代的なもののように思います」

「インド人なんだから、占いくらいはするんでしょう?」

「一度も経験したことがありません」

「それは意外だな」

「いえいえ、私のように大学で教育を受けた二十代の世代で、宗教に興味を持って

いる人間はほとんどいないと思いますよ」

「ご両親も同じ感覚なの?

「両親は、特定のマスターを持っていて、信心深く、ベジタリアンですが、子供に

宗教的なことを強制したことはありません。ですから、私はノン・ベジタリアンで、

週三回程度は肉を食べています」

「なんだかんだ言っても、人生の最後には、サドゥー(遊行者)となって、究極の

真理を求めて全国を放浪するのがインド人じゃないの?」

「とんでもない。サドゥーになろうと考える人なんて今時どこにもいませんよ」

「インドは宗教者が尊敬を集める国じゃなかったの?」

「今の時代、人々の尊敬を集めるのは、金持ちやビジネスが成功した人達だけです

よ」

 

【海外で働く!就活日記】海外就活の際の心得まとめ

豪州の現地企業に就職が決まった私のささやかな経験による海外就活の際の

心得を、以下の通りまとめてみた。欧米などの西洋諸国でも、同じことが

当てはまるに違いない。

 

【職探しの方法】

多くの国では日系のリクルートエージェントも存在するが、多数の在留日本人が

登録している上、求人企業が少ないため、なかなか求人先を紹介してもらえない

だろう。(私の場合、半年で3件の紹介があったが、そのうち2件は不特定多数の

日本人に対する一斉メールだった)

 

従って、現地の求人サイトで、次から次へと応募する必要がある。(私の場合、

求人サイト経由の方が、圧倒的に企業側からのアプローチが多かった)

現地の求人サイトを見ると、企業が直接人材募集しているケースだけでなく、

現地のリクルートエージェントが募集先の企業名をふせて、「この会社はある

グローバルな食品会社で・・・」というような表現で募集していることも多い。

 

【職種に関して】

海外では職種が非常に細分化している。

日本では文科系の人間であれば、企業に対して営業とかマーケティング(要するに

ジェネラリストという名の何でも屋)の仕事を志望する場合が多いだろう。

しかし海外ではSalesと言えば、一般的にはField Sales(得意先に対して足を運ぶ

営業マン)であり、Marketingと言えば、広報・宣伝部の仕事に近いだろう。

そして私の見立てでは、これらSalesやMarketingの仕事は、「言葉」が命の仕事で

あるため、バイリンガルレベルでないと極めて採用が難しいと思われる。

一方で、日本人の緻密さや正確さを生かすことのできる職種として、

Business Analyst, Accounting, Product Planner, Merchandiser, Logistic Job,

Inventory Controller, Demand Planner, Japanese speaking administratorといった

職種も多数存在するので、これらに応募するのも手かもしれない。

一般的に企業の物流部門やIT部門、経理部には多くの移民が存在するが、

営業、マーケティング、人事部などは現地人(バイリンガル)が大勢を占めている

ものである。

 

【希望職種】

海外では、過去の職歴・スキルが非常に重視される。

私は就活中に、「給料の高いマーケティング職は難しそうだから、倉庫番でも

申し込んでみるか」と思って、何度もそうしたが、過去に倉庫番をした実績も

スキルもないため、1件たりとも応募先から連絡が入ることはなかった。

まったく違う畑で一からスタートするというのは日本ではあり得るが、海外では

非常に困難だろう。要するに、海外ではより専門性が重視されるのである。

 

【履歴書】

私はワードで自分で履歴書を書いたが、リクルートエージェントにお金を払って

推敲させることもできる。私個人の感想だが、自分で履歴書も書けなければ、

現地企業に採用されることは難しいだろう。

ちなみに、私はインド勤務時代に、インド人を採用する側だったが、基本的に

履歴書では彼らの過去の職歴しか見なかった。多くの面接官は忙しいので、

そこだけ見て、面接に呼ぶかどうかを判断するのが一般的だろう。

実際、私の堅苦しい日本人英語の文章でも、現地人の面接官から何度か連絡が

入ったことを考えれば、履歴書に書かれた英語の文章力はあまり重要ではない気が

している。

 

【カバーレター】

履歴書以上に重要なのが、カバーレター(志望動機や自己アピールを書いたA4一枚程度の作文)と言われている。少なくとも豪州ではカバーレターは必須であるが、

当該国でこれが必要かどうかを確認することが重要。

なお、履歴書とカバーレターの参考文章はネットで検索すれば、たくさん出てくる。

 

【海外就活時の心得(メリット)】

本ブログで何度も繰り返しているように、西洋(すくなくとも豪州)では、

人種・性別・年齢・結婚・子供の有無などプライバシーにまつわることは聞かれな

い。法律に抵触するからだ。(ただし、一部の現地日系企業はその辺を理解して

おらず、聞いてくる場合がある)

だから、年齢が40才を過ぎていても、引け目を感じることはない。特に日本人の

場合、若く見えるのも追い風だ。

 

【海外就活時の心得(デメリット)】

日本でも同じかも知れないが、採用までには時間がかかる。半年は見ておくべき

だろう。これは移民だけでなく、現地人でも同様なのだ。求人サイト経由で企業に

履歴書を送っても、1ヶ月間音沙汰がないことなどざら。

私の場合、6ヶ月の間に、100社余りに履歴書を送ったが、電話やメールで

関心を示してもらえた会社が6社、そのうち1次面接に持ち込んだのが3社

(日系企業2社とローカル企業1社)、そして二次(最終)面接に持ち込2社と

いう確率だった。

 

【英語力について】

言う間でもなく、英語力は非常に重要だ。最低でもビジネス英語レベルでなけれ

ば、異国でできる仕事は非常に限定的になるだろう。仮にめでたく面接を突破

しても、その後の仕事で成果を上げなければならなければ解雇の可能性もある。

なお面接にあたり、TOEICや英検などの試験結果などまったく関係ない、という

ことも認識しておく必要がある。低得点では無論論外だが、バイリンガルでない

限り、たとえTOEICで900点以上あっても、現地人から見れば「英語を母国語と

しない人々」のカテゴリーに入ることになるだろう。

 

私は日本人でTOEIC満点の人(彼はバイリンガルでない)を知っているが、

彼ですら現地のローカル企業で勤める場合、どうしても英語がネックとなって

現地人と太刀打ちできない局面が多くあると考えている。、彼はローカル企業

ではできる仕事が限定的となり、結果的に昇進や高い給与の所得が難しいと踏んで

おり、現地の日系企業に就職したが、私は彼の考え方は基本的に的を得ていると

思う。

 

とは言え、必要以上に英語力に卑屈になることはまったくない。アメリカも豪州も

移民を受け入れている国は多国籍国家だ。面接官もエイジェンシーも次から次へと

移民を相手にしており、移民にバイリンガル並の英語力を求めているとは思われな

い。専門性やスキルがあれば言葉のハンディは乗り越えられるだろう。

 

【海外面接時の心得1】

自己紹介、志望動機、過去の職歴は必ず聞かれるので、英語で丸暗記しておく!

日系企業の日本語での面接でも、どこかのタイミングで「それでは英語で自己紹介

して下さい」と言われるものだ。

 

【海外面接時の心得2】

面接には手ぶらで行かない!

その会社で自分がしたいアイデアなどをまとめた資料や関連書類などを持っていくと

ヤル気を評価されるだろう。あるいは前職の会社のパンフレットを見せながら、

「私はこんなスタイルの営業をしていました」などと言うことで話がはずんだり

する。ビジュアルでモノを見せると面接官の注意がそっちに向くので、言葉の

ハンデを隠すことにも大いに役立つと言える。

 

【海外面接時の心得3】

会社概況(製品・サービス)と業界に対する基礎知識を知っておく!

運よく面接の機会が巡ってきたら、その会社だけでなく、業界のこともネットで

調べるべし。「当社のライバルはどこか知っていますか?」なんてことはよく

聞かれる。

 

【海外面接時の心得4】

自分を大きく見せる!(時にはワルになり、誇大表現をする)

日本人のほとんどは謙虚であるため、「英語は話せませんが・・」「バイトの経験

しかありませんが・・・」といったように自ら卑屈になる傾向があるが、他民族の

やり方は逆である。彼らはマンネン平社員なのに、「私はマネージャーでした」

とか「小生の営業力で年間1億円売りました」といったことを平気で言う。

もしも日本で5年派遣をやっている場合でも、彼らがそれを履歴書で書く場合、

「10年間正社員をやっていました。したがって、こんなスキルもあんなスキルも

あります」と堂々と言うはずである。実際、そのように言ったところで、

面接官は異国の会社の名前も知らないし、その発言がどこまで正確か裏を取ること

もしない。

お利口さんのやり方に異論はないが、それだけでは海外ではサバイバルできない

だろう。

 

【海外面接時の心得5】

相手の目線に合わせる!

日系企業の日本人面接官の場合は、自分を大きく見せると裏目に出ることがある

ので要注意である。「そんなに立派な経験があるなら、当社にはtoo muchだろう」

というように、企業側の方が卑屈になる場合がある。日本人面接官の場合は、

和と協調の精神をもって臨むのが無難だろう。

 

【海外面接時の心得6】

電話での英語の聞き取りはバイリンガルでない限り困難なものである。

突然、電話面接の電話が入った時など、「今電車の中なのでよく聞こえない

ため折り返し電話します」といって時間を稼ぐのも得策。

直接面接の住所などをメールやSMSで 送ってもらうのも不自然なことでは

ない。

I WANT TO SPEAK ENGLISH  第三外国語への道

笑福天「ところで亀ちゃんはどんな英語教育を受けてきたの?」

亀丸「俺なんか、中高と普通の公立に通っていたんだから一般的な英語教育だよ」

笑福天「中学に入った時、大変じゃなかった?」

亀丸「英語はセンスだと思ってたからさあ、オール3の俺でも英語だけは結構

いけると思っていたのが勘違いの始まりだったなあ」

笑福天「英単語なんてどうやって頭に入れたの?」

亀丸「すべてカタカナ読みで、当て字をかましたなあ。月曜日から順番に、

MONDAY(問題)、TUESDAY(チューする日)、WEDNESSDAY

(暗記断念)、THURSDAY(伝染病サーズ)、FRIDAY(フライの日)、

SATURDAY(サッチャー元首相)、SUNDAY(駿台予備校)。

水曜日なんかWEDNESDAYと書くのに、なんでウェンズデーと発音するのか

さっぱり分かんねえよなあ」

笑福天「般若心経を暗記するのと同じくらい大変なんだね。外人の先生に教わった

ことはないの?」

亀丸「そう言えば、高校の時にカナダ人で日本語がまったくできないという男の

先生がいてさあ、日本語で話し掛けても知らぬ存ぜぬなんだよ。ところが、ある日

『ジャスティン先生、緊急のお電話が入っていますので、至急職員室まで戻って

下さい』という放送が鳴った瞬間、実家で不幸でもあったのかと思って、

鬼の形相で教室を飛び出して行ったよ」

笑福天「どんな電話だったのだろう?」

亀丸「そば屋のオヤジからの電話で、雪のため昼飯の出前が30分遅れるって

話だって」

笑福天「外人さんだから腹空かせたら大問題だって訳だね。ところで、亀ちゃんは

読み書き話し聞きのうち、どれが苦手なの?」

亀丸「そりゃあ、話しと聞きだけど、究極的には聞きかもしれないなあ。知ってる

単語でも聞き取れないことがあるのに、知らない単語を連発されたらどうしようも

ないわな。でも話しも難しいなあ。俺なんか自慢じゃないけど、未だに

THURSDAYが外人に通じないんだから」

笑福天「なんでだろうー」

亀丸「何度言っても外人にはSATURDAYって聞こえるらしいんだ。

色んな言い方で言ってもだよ。オペラ歌手みたいに甲高い声上げたり、お経を

唱えるみたいにトーンを下げて、スアーズデー、ザーズデー、ズアッーズデーって

言ってもダメだね。もう面倒くさいから木曜日には約束を入れないことにしたよ」

笑福天「発音の勉強をしてこなかったの?」

亀丸「発音は受験に出てこなかったから、完全無視だったなあ。予備校でも

カタカナ読みでいいって言われてたし」

笑福天「スペイン語だったら、アルファベットのカタカナ読みでいいんだけどね。

それではクイズです。スペイン語で加賀まり子の意味は?」

亀丸「オカマのうんこ!」

笑福天「正解。では、イタリア語で磯野カツオは?」

亀丸「私はチンポです」

笑福天「お見事!」

亀丸「インドネシアにある避暑地の名前は?」

笑福天「キンタマーニ高原」

亀丸「そこにある有名レストランの名前は?」

笑福天「キンタマーニ・レストラン」

亀丸「地元でしか味わえない玉金料理を出してくれるのかなあ?」

笑福天「出すわけないでしょ」

亀丸「インドネシア語って楽しそうだなあ。日本人にとって、インドネシア語は

韓国語と並んで学び易い語学らしいもんな」

笑福天「スワヒリ語の方がお勧めだけどなあ」

亀丸「ケニアの?」

笑福天「そう。単語がどんどん頭に入るんだから。ぼくに単語のクイズをしてみて

よ」

亀丸「こんちには!」

笑福天「ジャンボ!」

亀丸「おしり」

笑福天「マタコ」

亀丸「耳くそ」

笑福天「ブーガ」

亀丸「唐辛子」

笑福天「ピリピリ」

亀丸「急いで!!」

笑福天「チャプチャプ!!」

亀丸「ゆっくり」

笑福天「ポレポレ」

亀丸「こんなに楽しく語学を勉強したの初めてだよ。すぐに日常会話くらいできる

ようになりそうじゃん。ちなみに、熱くなった女のアソコはなんて言うの?」

笑福天「クマモト」

亀丸「嘘だろ?じゃあ、男の一物は?」

笑福天「ナゴヤ」

亀丸「凄すぎ!」

笑福天「君のお母さんの名前はなんだっけ?」

亀丸「熊本股子」

笑福天「ケニアじゃ、その名前は言わない方が無難だな・・・」

亀丸「ところで俺たちなんの話をしてたんだっけ?そうだ、思い出した。

THURSDAYの発音についてだった」

笑福天「THURSDAYっていう発音はさあ・・・まずこうして口を大きく横に

開けてから、舌を上顎に乗せて、それから喉の奥から一気に空気を出すように・・・」

亀丸「俺さあ、外人の前で絶対口開けたくないんだよな」

笑福天「なんで?」

亀丸「八重歯が見えちゃうだろ?」

笑福天「痛っ!そう言えば、君、ドラキュラだったな」

亀丸「外人から見たら八重歯ってみっともないらしいな」

笑福天「ドラキュラ侯爵みたいで縁起が悪いのかもしれないね。この際、矯正し

ちゃったら?」

亀丸「そうだよな。外人と記念写真を撮る時、俺だけいつも唇噛んだままだもん

なあ。俺もいつか連中みたいに、白い歯を思いっきり出して、ビッグスマイル作り

てえなあ。とは言え、それだけのために100万円も出して、2年も掛けちゃう

の?・・・その頃になったら、帰国してるかも知れないし止めとくか?」

笑福天「日本って国はユニークだよな。国内では八重歯が許されちゃうんでしょ?

かわいい八重歯で羨ましいな!なんて言われちゃう女の子だっているくらいなんだから・・・」

アジャンタ遺跡

インド・アジャンタ遺跡は、デカン高原の北西に位置するワーグラー渓谷に

あるが、未完成窟を含めて合計三十ある仏教石窟寺院は、五百五十メートル

の長きにわたって横一列に並んでいる。

 

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石窟は、前期窟と呼ばれる紀元前一世紀の上座部仏教期と、後期窟と呼ばれる

紀元五世紀の大乗仏教期に時を隔てて進められた。後期窟の造営は五世紀中葉

から七世紀にかけての約百五十年間と推定されているが、当時のインド人の

平均寿命は三十歳程度であり、何世代にもわたる大事業であった。

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その後アジャンタ遺跡は千年以上もの間、密林の中に置き去りにされることに

なったが、千八百十九年に虎刈りにやってきたイギリスの騎兵隊によって偶然

発見されなければ、遺跡は今もジャングルの中で眠っていたかも知れない。

 

アジャンタ遺跡は、仏教発祥の地インドから、中央アジアや中国などを経由して

日本に広がった仏教の古代絵画の源流の地として知られているが、中でも第一窟

には、アジャンタ遺跡の中でも最高傑作と名高く、法隆寺金堂の菩薩像の原画と

なっている、「蓮華手菩薩像」がある。

 

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第二窟は、この石窟そのものがひとつの完結した小宇宙であることを想わせた。

扉を開けると、物音ひとつない闇の中、目の前の本堂で太く頑丈な十二本の列柱が

円を描いて天井を支えている。

天井の縞模様の中では、天女が舞い、原始的な形をした花や植物や鳥や獣が

縦横無尽に躍動しているが、白や茶や橙の色彩が、積年の雨漏りによって岩から

融けだすことで、かえって絵に重々しさを加えている。

本堂から正面に向かって続く天井は幾重もの輪となった曼荼羅であり、左廊

で釈迦誕生の場面が描かれ、後廊で壁一面に千体仏が描かれている。両脇の祠

堂には脇侍菩薩が立っているが、石窟正面にある奥の間に、柔和な顔で鎮座して

いるのが仏陀だった。

 

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この石窟の中央に座していると、肉厚な列柱と木目細かな壁画がめくるめく重なり

合い、天井の色彩の七変化も手伝って、小さな球体に乗って宇宙の只中を遊泳して

いる気分に陥ってしまう。

 

最両脇には瞑想の場を兼ねた僧坊が並んでいる。まったき暗やみのため、

くり抜かれた穴の先に何があるのか見ることはできないが、そこには何とも

言い知れぬ空気が充満していた。

私は鳥肌が立った。石の寝台のみあるべきが、人の気配がするのだ。

 

「もしや、未だに当時の僧侶がそこに坐って瞑想を続けていることはあるまいか」

 

しかし、そこに何があるのか確認してみようにも、一歩足を踏み入れた瞬間、

時の彼方に吸い込まれてしまいそうだ。

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「・・・何という静寂なのだろう」

ここはインドであってインドで無いのかも知れない。

ここには、ヒンドゥー教を彩る極彩色の神々も、山羊の生血滴る生贄の儀式も、

サドゥーの橙色の衣も、鐘の音も、太鼓の音も、無かった。あのアラハバードで

見た喧騒も、熱狂も、陶酔も、光も、汚わいも、なにもかもが!

 

もしもなにかが有るとしたら、それは誰に知られることもなく一千年以上も涅槃に

入っていた仏陀の沈黙の霊気だけだったが、本当はそれすら無かったのかも知れな

い。

 

奥の間の仏陀に向かって合掌し、扉をゆっくりと閉めると、先細りしていく光と

共に、仏陀は再び時空を越えて飛び去っていくかのようだった。

そして後ろを振り返ると、ギラギラとしたデカン高原の太陽が再び頭上を照らした。

 

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力車進著「永遠の旅」より一部抜粋