アジャンタ遺跡
インド・アジャンタ遺跡は、デカン高原の北西に位置するワーグラー渓谷に
あるが、未完成窟を含めて合計三十ある仏教石窟寺院は、五百五十メートル
の長きにわたって横一列に並んでいる。
石窟は、前期窟と呼ばれる紀元前一世紀の上座部仏教期と、後期窟と呼ばれる
紀元五世紀の大乗仏教期に時を隔てて進められた。後期窟の造営は五世紀中葉
から七世紀にかけての約百五十年間と推定されているが、当時のインド人の
平均寿命は三十歳程度であり、何世代にもわたる大事業であった。
その後アジャンタ遺跡は千年以上もの間、密林の中に置き去りにされることに
なったが、千八百十九年に虎刈りにやってきたイギリスの騎兵隊によって偶然
発見されなければ、遺跡は今もジャングルの中で眠っていたかも知れない。
アジャンタ遺跡は、仏教発祥の地インドから、中央アジアや中国などを経由して
日本に広がった仏教の古代絵画の源流の地として知られているが、中でも第一窟
には、アジャンタ遺跡の中でも最高傑作と名高く、法隆寺金堂の菩薩像の原画と
なっている、「蓮華手菩薩像」がある。
第二窟は、この石窟そのものがひとつの完結した小宇宙であることを想わせた。
扉を開けると、物音ひとつない闇の中、目の前の本堂で太く頑丈な十二本の列柱が
円を描いて天井を支えている。
天井の縞模様の中では、天女が舞い、原始的な形をした花や植物や鳥や獣が
縦横無尽に躍動しているが、白や茶や橙の色彩が、積年の雨漏りによって岩から
融けだすことで、かえって絵に重々しさを加えている。
本堂から正面に向かって続く天井は幾重もの輪となった曼荼羅であり、左廊
で釈迦誕生の場面が描かれ、後廊で壁一面に千体仏が描かれている。両脇の祠
堂には脇侍菩薩が立っているが、石窟正面にある奥の間に、柔和な顔で鎮座して
いるのが仏陀だった。
この石窟の中央に座していると、肉厚な列柱と木目細かな壁画がめくるめく重なり
合い、天井の色彩の七変化も手伝って、小さな球体に乗って宇宙の只中を遊泳して
いる気分に陥ってしまう。
最両脇には瞑想の場を兼ねた僧坊が並んでいる。まったき暗やみのため、
くり抜かれた穴の先に何があるのか見ることはできないが、そこには何とも
言い知れぬ空気が充満していた。
私は鳥肌が立った。石の寝台のみあるべきが、人の気配がするのだ。
「もしや、未だに当時の僧侶がそこに坐って瞑想を続けていることはあるまいか」
しかし、そこに何があるのか確認してみようにも、一歩足を踏み入れた瞬間、
時の彼方に吸い込まれてしまいそうだ。
「・・・何という静寂なのだろう」
ここはインドであってインドで無いのかも知れない。
ここには、ヒンドゥー教を彩る極彩色の神々も、山羊の生血滴る生贄の儀式も、
サドゥーの橙色の衣も、鐘の音も、太鼓の音も、無かった。あのアラハバードで
見た喧騒も、熱狂も、陶酔も、光も、汚わいも、なにもかもが!
もしもなにかが有るとしたら、それは誰に知られることもなく一千年以上も涅槃に
入っていた仏陀の沈黙の霊気だけだったが、本当はそれすら無かったのかも知れな
い。
奥の間の仏陀に向かって合掌し、扉をゆっくりと閉めると、先細りしていく光と
共に、仏陀は再び時空を越えて飛び去っていくかのようだった。
そして後ろを振り返ると、ギラギラとしたデカン高原の太陽が再び頭上を照らした。
力車進著「永遠の旅」より一部抜粋