【世界珍道中】 男と女の機内ロマンス

飛行機の中でたまたま席が隣り合わせになったことでロマンスが生まれる・・・

そんなのお伽噺にちがいない、と人は思うかもしれない。

しかしそれがあるのが世の中の不思議である。

私の先輩H氏は、初めての海外旅行先となるタイに向けて飛行機に乗ったところ、

隣席に座っていた出稼ぎ帰りのピチピチ・タイ人ギャルと意気投合。

バンコクのドンムアン空港に到着するや否や、バンコク市内にある彼女の知人の

アパートに転がり込み、そのままひと月もそこに居候する運びとなった。

以来、H氏が突如としてグローバルな意識に目覚め、金と暇さえできれば飛行機に

乗るようになったことは言う間でもない。

あるいは、私と一緒にネパール旅行に行ったY氏は、機内で私の隣の窓側席に

座っていた練馬区に住むハウスマヌカンS嬢と意気投合。お互いひとり暮しを

していた両者は、帰国後すぐに互いのアパートに通い合う関係となった。

結果的に、S嬢は席が隣だった私にはなんら関心を示さず(私はS嬢とあまりに

話が盛り上がったため、てっきりS嬢は私に好意を持ったと錯覚していた)、

通路側にいたY氏のことを気に入った訳であるが、それよりも、S嬢がY氏に

寝物語に呟いたという「彼がいなければもっとネパール旅行は楽しかったのにね」

という言葉には大いに笑わされた。 

このような事例を何度も耳にしていた私は、いつか自分にもそんな機会が訪れない

ものかと心密かに思っていたが、やはり人生とは人皆に平等であるもので、

ついにその機会がやって来た。

それは、私がシンガポールを起点に東南アジア周遊の旅に出た時のことだった。

私が当時最安値だったバングラデッシュ航空の二人掛けの席に座って機内食を

食べていると、隣にいた少し年上の女性が喋り掛けてきた。

薄黄色のカーデガンを着た清楚で上品な感じの女性だが、長い髪の毛が色気を

感じさせる。お嬢様女子大を出て、何年かスチュワーデスでも経験した後、

商社に勤めるエリートの夫と共にシンガポールで暮らしているような感じ。

「シンガポールまでご旅行ですか?」

「はっ、はい」憧れの年上の女性に緊張して答える私。

「もしかしてバックパッカー?」

「そ、そうですけど」

「すごーい!これまでどこに行ったことがあるの?」

「まだインドしかないんです」

「えっ、インドに行ったことがあるの?一人で?」

「はい」

「すごーい!尊敬しちゃう。私、インドにとっても興味があるのよ。よかったら、

インドのこと色々教えてくれない?」

思えば、この当時は猿岩石がブームとなり、バックパッカーという言葉が普及し

出した時代であった。私は得意になってインド旅行譚をひとしきり話したが、

その間お姉さんは仄かな香水の臭いを漂わせながら、私の身に寄り添うように顔を

近づけ、笑ったり、ふむふむと頷いて関心したり。

そしてインドの話が終わると、今度はお姉さんがこれまで行ったことのある

東南アジアの見所を色々教えてくれ――お姉さんは一件大人そうに見えるが、

実はとてもおしゃべりだった――気が付けばもうすぐシンガポールに到着という

ところまで来ていた。

「今日はお会いできてよかったわ」

「いえ、こちらこそ」

「私の住所と電話番号教えてもいい?」

「もちろんです」

「いつでもいいから、時間がある時、連絡してくれる?」

「は、はい」と答えながら、私は「もしかしてこのお姉さんは独り暮らし

なのかなあ」と思いながら、あえてプライベートなことは聞かなかった。

(また会った時にでもゆっくり聞いてみようとつもりで・・・)

そして機内で別れを告げて、空港内のカウンターテーブルでバックパックが

流れているのを待っていると、後ろから声を掛けられた。振り返ると、再び

お姉さんだった。

「今日、どこに泊まるの?」

「ま、まだ、決めていなんですが・・・シンガポール駅のステーションホテルがや、

やすいみたいなんで」

「私、車があるから、よかったら送っていくわ」

「えっー、いいんですか?」

「もちろんよ」

私はバックパックを片手で担ぎ、「この先どうなってしまうんだろう?」と

思いながら、にやにやしながらお姉さんと話をしながら空港出口まで行くと、

その時だった。

「あっ、いたいた!」とお姉さんは言った。

お姉さんの視線の向こうに、背の低い旦那が立っていた。旦那はなれなれしく

お姉さんと談笑をしている私の顔を狼狽した様子で眺めている。

そんな気配も察せずに、お姉さんは夫に私を紹介する。

「この方、飛行機で隣だったのよ。ひとりでインドに行ったことがあるんだって!

すごいでしょ?これからひと月掛けて東南アジアを旅行するんだって。

シンガポール駅のホテルに泊まるそうだから、送ってあげる?帰り道だから

いいでしょ?」

夫は面倒くさそうだが、幾分ほっとした様子で聞いている。

 

私はシンガポール駅でふたりに手を振りながら、このお姉さんの心理はつくづく

分からないと思った。このお姉さんは、私と話し続けた何時間もの間、夫のこと

などおくびにも出さなかったのだ。言ってみれば、彼氏がいるにも関わらず、

それをひた隠しにして、他の男の気を引こうとする女(この手の女は、女子高出身

のお嬢様に多いと思われる)と同じ手口ではないか?

とは言え、このお姉さんが「天然」な性格であると思われるのが、私だけではなく、

旦那のことも当惑させたからである。

突然、妻が見知らぬ若い男と楽しそうに横並びで歩いて来る姿を見て、狼狽した

旦那の顔と言えば、あまりに痛々し過ぎて目も当てられぬほどであった。

きっと、お姉さんにとって旦那の存在は無きに等しいものなのだろう。

その意味で、このお姉さんは二重の罪を犯している訳であり、このような女が

真の悪女と言えるのかもしれない。