ニューヨークのまっさん

大手日本企業の場合、現地法人のトップかNO2のポジションに日本人を

送り込むのが定石であるが、創業が古い年功序列型組織を抱えた企業の場合、

そのようなポジションにシニア(年配者)が当てられるのがほとんどだ。

 

ところが、定年が近い世代になればなるほど、日本での仕事での実績とスキル

があって、しかも英語のできる人材が希少であるのは言わずもがな。

その結果、日本で要職を経験したとは言え、まったく英語のできない人が

現地法人のトップに放り込まれることは珍しくない。

私はそのような事例が生む悲喜劇を何度も目の当たりにしてきた。

 

なかでも突出していたのがまっさんだった。

まっさんは家電メーカーの営業部長や事業部長を経験したいわゆるエリートで、

バブル時代を謳歌した後、ニューヨーク支店の社長に任命された。

子会社とは言え、最重点国であるアメリカのトップであるため、定年まで

残り数年のまっさんに人事部が男の花道を用意したという訳だ。

お化けのQちゃんのような顔をしたまっさんは、とにかく人前で話すのが

好きで、結婚式で新郎新婦のエピソードを延々と話す場の読めない仲人のふし

があった。

(もちろん、話が好きと言っても日本語での話である)

とは言え、英語のえの字も知らないまっさんは、アメリカに赴任したところで

暇で暇でしょうがない。アメリカ人はろうあの社長がやってきたと思っている

し、そうかと言ってまっさんはパントマイムができる訳でない。

となると、必然的にターゲットとなるのは日本人の若手駐在員だった。

まっさんは、毎朝彼の個室に駐在員一同を集め、一時間以上も訓示を垂れる。

(上述のように、まっさんは仲人や葬儀委員長を大の得意としているため、

たとえ二日酔いだろうが、若輩者相手に毎朝一時間の訓示を垂れるなど朝飯毎

なのだ)

「諸君、店頭展示をなめちゃいけないよ。お客さんは、店頭で商品を選ぶんだぞ」

「諸君、ビジネスをしているんだったら、在庫は悪だと知りたまえ」

「諸君、社外の人との付き合いだって大切だよ」

なんて当たり前のことを、延々と話しているが、その横で若手駐在員たちは

しかつめらしい顔をしてメモを取っている。

現地人へ何かを伝えようとすれば、若手を伝書鳩として使い、英語の長いメール

が入れば「君、このメールを要約してくれたまえ」と言いながら、自分は秘書

からエクセルを習ったり、社費で昼間から英会話学校に通ったりしている。

そんな弱みを知ってか知らぬか、まっさんは出張者に対しては丁重にもてなして

くれる。晩ともなれば、若手と言えども日本からの出張者をニューヨークで

ご接待。部下に対するのと打って変わって好々爺となり、飲めや歌えで

ニューヨークの五番街を連れまわしてくれる。だから、(彼の部下以外)

まっさんのことを表立って悪く言う人は誰もいない。

しかも、こういうおめでたい人に限って運はつくもので、まっさんの在任時代に

販売新記録が樹立され、それから何年たってもその記録が破られることとは

なかった。まっさんの後任など、どれだけハードワーキングをしても、接待費を

削っても、売上は下降を続け、「まっさんを見習ったらどうか!」と日本の本社

から叱責の日々。

 

めでたくニューヨークで定年を迎えたまっさん?

彼は日本に凱旋帰国すると、今度は子会社の研修センターで「海外勤務者の心得」

なる講座の講師と迎えられた。

そして自らの華々しい「ニューヨーク成功物語」や「海外でビジネスを成功させる

ための心構え(現地のことを理解する。現地のやり方にあったマーケティングを

する。決して日本流を押し付けてはならない。現地人と裸の付き合いをする。

などなど)」を滔々と説く人気講師となったのである。

その際、まっさんの趣味であるデジカメ写真(ニュヨークのオフィスにて、

まっさんは事あるごとにアメリカ人スタッフを交えた会議風景を撮りまくり、

彼らから大いなる顰蹙と失笑を買っていた)が威力を発揮したのは言うまでもない。

 

こうしてみると、「人生は運である」という身もふたもない人生訓がまことしやか

に思えてしまうが、類まれなる強運の下に生まれたまっさんはともかく、

本当に喝采すべきは、それを見越して彼をニューヨークに送り込んだ人事部の

おバカさんなのかも知れない。