モーホーを見抜く力 (ナニワのおじき)

こうして私は西はカリフォルニアから、東はアラビア半島の紅海

まで、世界中のモーホー諸氏と知己を得る機会を得た訳である

が、この経験を通じてモーホーに対する見識眼が鍛えられたこと

は言うまでもない。

昨今では、「聞く力」、「叱る力」、「諦める力」といった処世

術やら人生訓を説いた啓発本がブームであるが、さながら私は

「モーホーを見抜く力」を培うことができたと言えよう。

そうしてみると、我が日本においても、至るところにモーホー

諸氏が存在していることに気づく。

灯台下暗しとはよく言ったもので、わざわざゲイバーや新宿三丁

目に行かずとも、モーホー諸氏は一般社会に広く浸透しているの

である。

念のため申し上げると、私はヘテロセクシャル、つまり異性愛者

であるが、女姉妹に挟まれて育ったせいか、自分でも気付かずう

ちに女性的なホルモンを放っているのかもしれない。私が

「身内」であると勘違いしたモーホー諸氏が急接近してくること

は、これまで一度や二度ではなかった。

「臭う」と思った会社の後輩は、私に泥酔させられた挙句、

ふたりで人生論を語り出した途端、自分がゲイであることを思わ

ず告ってしまった。

コンサート帰りの山手線ではフランス人ののっぽの男から

「You are beautiful」と言って付きまとわれた。(なぜなら、

若かりし私はインド象の刺繍の入ったチョッキを着ていたのだから)

そこで、「やはり女性ホルモンが過剰なためか?」と自分を恨め

しく思った私はジムで筋トレを始め、鏡を見ながら歯を食いし

ばって鉄アレイを上げ下げしていると、スキンヘッドの大きな

おやじに「一緒にトレーニングしませんか?」と誘われる始

末。

そんなある日のこと。私は道頓堀での飲み会の帰りがけ、

明智小五郎少年よろしく、「ぼ、ぼ、僕らはモーホー探偵団!」

と口ずさみ、ふらつきながら満員電車のつり革に捕まっている

と、すぐ隣に初老の紳士(以後、オジキと呼ぶことにする)が

立っていた。

サラリーマンしか乗っていない時刻であるが、背の低い総白髪のオジキは、淡いピンクのサマーセーターを肩に引っ掛け、洒落た

白のズボンを履いている。

「この血色、鍛え上げられた上腕、不自然なほどピンと伸ばした

背筋・・・これはそこらへんのデザイン会社やファッション業界

の素人さんとは違うべ・・・なにかもっと突き抜けたものがあ

る。これは間違いない」と私は踏んだ。

ところが私が忍ケ丘駅で下車すると、オジキが私に寄り添うよう

に付いてくるではないか?私は改札に向かう階段を登りながら、

自分の「モーホーを見抜く力」を見極めるべく、思わずオジキに

声を掛ける。

「いい味出してますなあ!」

「あっそうかい?」と言いながら、オジキはキョロキョロと

周囲を見渡している。

「おじさん、最高ですわ」

「おたく、ぼくと同じ世界の人なんやろ?そんなの言わへんで

も、ちゃんと分かるんやから。だけど、ぼくがそうだってなんで

分かったん?」

「全身から醸し出してる雰囲気が素人とちゃいますやん。ちょっ

と見る目のある人間だったら、誰だって分かりますよ」

「それより、おたくの好きなものが、ぼくの家にはいっぱいある

んやで。よかったら一緒に行かへん?」

「やはり俺の感は当たった!」と思いつつ、「今日は酔っぱらっ

とるんでまた今度!」と言って、私はひとり夜の街を歩き出した。

しかし途中ゲロを繰り返しながら、あまりのバカバカしさに、

「一銭にもならぬこんな力など消えてしまえ!」

と我が身を呪うのだった。