インド本

インドに旅立つ前にインド本を読む。あるいはインド本を読んで

インドに興味を持つようになった。それを読む理由は、人それぞれに

違いない。私の場合は、初めにインドに行きたいという願望があり、

インド本を読むことでその願望がさらに膨らみ、最終的にインドに

飛び込んでいったと言える。

 

以下の著作は1970年代前後の作品であるが、私にとっては未だに

色褪せない「インド本」の金字塔である。

 

1. 横尾忠則「インドへ」

なぜインドへ行くのか?この根源的な問いに対して、二十歳だった頃の

私はなかなかその答えを自分の言葉で表現することができなかった。

インドに行くには、なにか小難しい理由が必要な気がしたのである。

ところが、横尾氏の理由は明快だった。インドでヨガの修行をしている

ビートルズに憧れたこと。ニューヨークのアシッド(LSD)体験で

悟り願望が強くなったこと。UFOや精神世界に傾倒していたこと。

横尾氏の場合、「インドには行ける者と行けない者があり、さらに

その時期は運命的なカルマが決定する」という言葉をもらった

三島由紀夫が亡くなった日にインド行きを決心したという。

 

2. 三島由紀夫「豊穣の海・第三部・暁の寺」

三島由紀夫の遺稿となった「豊穣の海」全四部作の第三部は、

タイとインドが舞台である。

インドの舞台は(世界でもっともダーティーな街と呼ばれた)カルカッタ、

ガンジス河の聖地バラナシ、そして仏教遺跡のあるアジャンタであるが、

広大なインドの中でも極めてインド的な要素の詰まったこの三か所を

(インドの情報など乏しかったであろう)60年代に選定している

ところに、三島氏の慧眼を垣間見る思いである。

この小説を読みながらとりわけ万感胸に迫るのは、三島氏がカルカッタの

カーリー寺院に赴き、山羊の生贄の儀式を見ていることである。これは

身の毛のよだつほどの壮絶なシーンであり、地獄絵というべきか、

この世の修羅場というべきか、究極のものを見せつけられた私は嘔吐を

催しながらその場を去ったが、三島氏はそれから数年後に自衛隊の

東部方面総監室で同じことをする。

 

3. 藤原新也の著作

インドの旅の長さと深さで藤原新也に追随できる人は未だ現れていない。

横尾忠則氏が思いっきり精神世界からインドに傾倒していくのに対して、

藤原氏は精神世界に距離を置きながら、インドの深部に入っているのが

興味深い。どこかの著作で、インドに行く理由を問われた氏は

「土があるから」と言っていたが、二十歳だった私は横尾氏のコメントと

同様に自分の深層心理を上手く言い当てられた気がした。

個人的には藤原氏の処女作「印度放浪」よりも、その後の「メメントモリ」

や「全東洋街道」がよりスリリングだった。

 

なお、インド人の書いたものであれば、ヨガナンダ「あるヨギの自叙伝」や

OSHO「存在の詩」がお勧めである。

「あるヨギの自叙伝」は辞書より分厚い本だが、ヨギの生活や精神世界に興味

のある人ならばマストであろう。横尾氏もこの本をわざわざインド旅行に

持って行ったようだ。彼は「存在の詩」にも推薦文を書いている。

 

なお比較的最近出版されているインド本は時代を反映してか、インドやインド人

を笑いのネタにした紀行文が多いように思う。そのような作品であれば、現代の

インドやインド経済について取材している新しい形のインド本の方がずっと為に

なり、スリリングであるというのが個人的な感想である。