インドで働く(前編)

インドの会社組織が複雑なことといったらなかった。

どんな職場であれ、仕事がめくるめく細分化され、多層な階層が設けられて

いる。今では法的に存在しないはずの(無数の)カーストが未だに会社組織に

根を張っているかのようだ。

 

私は自分の荷物の運搬も、郵便の宛名書きも、コピー機の紙詰まり処理も、

コーヒーを入れるのも、専任の担当者がいるので自ら手を動かす必要が

なかった。と言うよりも、マネージャーの立場である私がそのようなことを

したら、侮蔑の対象となり、人間的価値や威厳を損なうことにもなりかねない

文化だった。

「日本では上位者が率先して共同便所を掃除する」と私が皮肉を込めて言うと、

それを聞いた上流階級のインド人は口をあんぐりと開けた。

 

会社組織における人間も多様だった。ヒンドゥー教徒、イスラム教徒、キリスト教

徒、シーク教徒、仏教徒、ジャイナ教徒、ベジタリアン、ノン・ベジタリアン、

北方系の白い顔、南方系の黒い顔が二十二の公用語と二千の方言と渾然一体と

なって一大集団を形成している。

 

無論のこと、人間関係は難解を極めた。

インドがムガール帝国以来の経済活況に沸いていることを考えれば無理も

なかったが、社員の多くは立身出世と給与に対して露骨なまでのこだわりが

あった。昇進のライバルとなるチームメイトには情報操作や隠蔽工作が平気で

行われていた。派閥があり、上役に貢物を渡したり、土日を返上したり

して会社に忠誠心を見せる人間が幅を利かせている。

 

私は、組織の裏で権謀術数が渦巻き、陰口や足の引っ張り合いがひっき

りなしの魑魅魍魎とした世界を見るにつけ、十九世紀後半にインドが

生んだ偉大な宗教家、ヴィヴェーカーナンダの言葉を思い出した。

「インドは神の探求を持続する限り不滅であるが、政治と社会的な紛争に

向かう時、死を迎える」