インド中産者階級の人々の暮らし
4代目ドライバーの仕事は正確で無駄がなかった。時間を厳守する上、
道をよく知っていた。もしも道に迷った場合には、すぐに車を止めて人に尋ね、
空き時間があればガソリンを満タンにしておくのが彼のスタイルだった。
運転だけでなく雑多な仕事も請け負ってくれた。私が会社まで見送った後、
メイドの斡旋や郵便局での荷物の受け取りやワイシャツのアイロン出しや
ペットボトルの購入をしてくれた。しかもチップを渡しても、なかなか
受け取ろうとしない。
彼のお陰で、私の日常生活は驚くほど快適になり、身の回りの心配をせずに
仕事に没頭することができるようになった。
彼は単身赴任をしており、会社近くにある六畳一間のアパートで三人の
ドライバーと共同生活を送っている。部屋には三人分のマットと小さなテレビと
ほんの少しの食器だけ。
ある日、私は彼の実家に向った。そこはのどかな田園都市の広がるハリアナ州の
田舎で、農業以外にこれといった産業のないジンドゥという街だった。
グルガオンから車で四時間離れたところにある。
彼の運転する車が幹線から一本内側に入ると、狭いでこぼこ道に牛がのろのろと
歩き、空き地で大勢の子供たちがはだしで遊んでいる。道の左右には民家が
続いているが、なかなか立派な門扉の付いた石造りの二階建ての家が、彼の
実家だった。アバラ屋に住んでいるのではないかと推測していた私にとっては
拍子抜けの光景だった。先に彼のアパートを見ていた私は、実家が中流家庭で
あるとは想像できなかったのだ。
両親に加えて彼と兄の三世帯が住んでいた。家の中には四つの寝室とテレビ、
家具、冷蔵庫、洗濯機、ミシンがあり、中庭には井戸とトイレとシャワー室が
あった。砂糖きび工場のオイル交換師である父親が脱穀機を回し、母親が牛の乳を
搾っている。道路を挟んだ向こう側の庭では野菜の自家栽培もしている。
両親はまだ四十代であるが、ふたりとも褐色の肌に深い皺を刻んでおり、六十代の
ように見える。母親がふたりの息子を産んだのは、十二歳と十四歳の時で、
彼女の髪の毛はすでに真っ白だ。
ふくよかで明るい性格のラフルの奥さんが湯を沸かし夕食の用意を始めている横で、
子供たちはベッドに寝転がりながらハットリくんのテレビに噛り付いていた。