忘却症と企業コンプライアンスの両立について

自慢ではないが、私は忘れ物をすることが多い。

電車に傘を忘れたり、買ったばかりの本をレジで受け取るのを忘れることは

言うまでもなく、成田空港に向かったもののパスポートを自宅に忘れたり

(実際パスポートは、自宅近くのセブンイレブンのコピー機の中に忘れており、

それを見付けた学生が店員に届けてくれていた)、飛行機の中に財布を忘れたり、

ATMでバンクカードを抜くのを忘れてその場を立ち去ったり・・・

 

確か心理学のフロイトの説によれば、「忘れ物をするのは、深層心理の中に

それを忘れたいという欲望があるからだ」ということになるが、ルンルン気分で

乗った成田エキスプラスで突然顔が青ざめるのも、世界中のあちこちで貴重品を

失くしまくるのも、私の中に計り知れない深層心理が横たわっているからなの

だろうか?

 

話が脱線してしまったが、昨今では、私のような「落とし主」にとっては、

非常に居心地の悪い時代となっている。とくに企業やお役所では、猫も杓子も

「コンプライアンス」を声高に叫ぶようになり、ノートパソコンはいわんや

SDカード一枚でも失くそうものなら、「個人情報の流出だ」とか

「社内情報の漏えい」だと言って大問題になる。

TVでも、どこかの保険会社の社員が酔っぱらい、電車の中に鞄を忘れて

個人情報が漏えいしたといったニュースを流しているが、「TVで取上げるほど

の問題か?」なんて会社で本音を言おうものなら、「それを悪用する連中がいる

からだろう」などと反論され、お前は無知だ、危機意識がないと吊し上げられる

のが目に見えている。

(したがって、誰も本音を言えない空気がますます醸成されていく)

 

とは言え、こういった問題を起こすのは、私のような「落とし主」だけでない

のが人間の奥ゆかしいところである。いわゆる優等生的エリートさんたちも

往々にして罠に落ちる。一度も計算ミスも遅刻もしたことのないお嬢様や

お坊っちゃまが、ある時は出張先のフランスで掏られ、またある時は中国の

ホテルにパソコンを置いて外出している間に盗られ、またある時は新幹線の中に

置き忘れ・・・

彼らが出世に影響することを危惧してか、あるいは心から道義的な責任を

感じてかは知らないが、悲痛な面持ちで始末書を書いている姿を見ているだけで、

心ならずも自然と笑みが漏れてしまう。

 

ところが、そんな邪な考えを持つ私に罰があったのか、私もやってしまった。

よりにもよって場所はインド。出張先のボンベイからニューデリーに飛行機で

帰る際、セキュリティーチェックポイントで鞄からノートパソコンを取り出した

まではよかったが、プラスチック製のプレートに載せたまま、それを置き去りに

して搭乗してしまった。

翌朝事務所で鞄を開くと、無論ノートパソコンはない・・・

「やべー!!!やっちまった!!!」私は一気に血の気が引いた。

会社のコンプライアンス懲罰委員会に吊し上げられる姿が目に浮かんだ。

「君は重いパソコンを持っていたのではないのか?」

「その通りです」

「それなのに、翌朝事務所に着くまで、鞄が軽くなったことに気づかなかったのか?」

「その通りです」

「個人情報だって入っていたんだろ?」

「一切入っていません」

「コラ、君は嘘までつくのか!」

こうして人格を傷つけられ、社内での信用を失っていくのである。

 

ともあれ、私は口の堅いインド人の部下を呼び出しすぐにムンバイ空港に電話

してもらったが、1時間あちこちの部門をたらい回しになりながらも、なんとか

「落としもの係」(インドにもこんな良心的な窓口があることに私は思わず

身震いした)に辿り付くことができた。

「X社製の黒色のコンピューターが届いていないか?」と聞く彼。

「それだったら山のようにある。とにかく取りに来てくれ」との係員。

「山のようにあるだって?マジか!!!20年前のインドだったら、

ボールペンやライターでも重宝がられたのに、今となっちゃ、ノートパソコンを

ドロンする空港職員もいなければ、それを忘れた人間も空港まで取りに戻ることも

しないのか?!これが現代のインドなのか!?」私はふたりの会話を聞きながら

深い感慨にふける。

 

私は直ちに航空券を手配し、デリー空港を飛び立ってムンバイ空港へと

向かったが、確かに自分のパソコンはあり、ほっと胸を撫でおろした。

そしてなにごともなかったように翌日から出社したのだった。