インドのお抱え運転手「ミスター・カルシン」

住環境が整うと同時に、専属の運転手が決まった。

初代のおしゃべり屋さんは、三日間張り切って仕事をしていたが、四日目の

朝以降、待てど暮らせど姿を現すことはなかった。

ロシア人のお姉さん方がいるという夜の店に連れて行くという彼の誘いに私が

応じなかったことで、私が金にならない堅物であると判断した可能性があるが、

今もって失踪の理由は定かではない。

 

ドライバーの当たり外れは大きく、一年半の間に、十人もの人を解雇した日本人も

いる。その理由は、英語での意思疎通の困難さ(そのように言う彼の英語もお粗末

極まりなかった)、連日の遅刻、水増し請求、暴走、方向音痴、おしゃべり運転、

失踪、性格の不一致など様々のようである。

 

二代目は、初代の失踪により急遽派遣されることになったカルシンという名の男

だった。南インドの出身を思わせる黒い顔をした小柄な男。

カルシンは、初めての場所は言うまでもなく、一度行った所でも、すぐに道に

迷ってしまうという癖があったが、彼のすごいところは、どんなに道に

迷っても、私に指摘されるまで通行人に道を問い合わせることはせず、

知らない道をいつまでも迷走するのである。

「どこまで行くのだろうか?」私は地平線の彼方に沈んでいく夕日にむかって

いつまでも走り続けるカルシンの背中を見ながら物思いに耽る。

「果たして、こんな荒野にレストランがあるのだろうか?」

十五分で行ける所が、一時間以上かかってしまうこともしばしばで、その間、

私は頭の血管が破裂しないよう、目を閉じて「ひーひー、はーはー」と

ハタヨガの腹式呼吸を試みる。

 

ヒンズー語ができない私にとって、彼が英語が全くできないのも困りもの

だった。日系企業相手のインド人のドライバーは、簡単な意思疎通を行える

英語力を持ち合わせているものだが、カルシンの場合、エイトAMとかテンPMとか、

待ち合わせの時間を確認するのがやっと。分刻みの待ち合わせは極力しないように

する。

ある時、空港の到着ゲートでピックアップをお願いしたものの、予定の時刻を

過ぎてもカルシンは現れなかった。

「●△◆●△◆●△◆●△◆」私は彼の携帯に電話したが、彼がヒンズー語で

なにを言っているかちんぷんかんぷん。仕方なく、私の近くに立っていた

見ず知らずの英語を話す男を捕まえ、携帯電話を押し付けると、カルシンと話した

彼はこう言った。「ドライバーは空港の出発ゲートで待っています」

 

インドで暮らすにあたり、ドライバーの能力が日々の快適さを大きく左右すると

いっても過言ではない。私は会社が斡旋したカルシンが自分のドライバーになった

ことに、何とも貧乏籤を引いてしまったものだと暗澹たる気持ちになった。

しかし、それでも彼の解雇を思い留っていたのは、時間の浪費と非効率性は

インドで生活している限り逃れることのできないものであり、そのインド

らしさを象徴しているのがカルシンであると思えたからだった。

インドらしさを受入れることができないとしたら、これから先、インド人や

インドの文化を理解するどころか、インドで生活していくことは難しいに

違いなく、カルシンを解雇した瞬間、私がインドでこれから遭遇するであろう

困難にも対処することができないのではないかと思えたのだ。

 

それに加えて、彼は不器用ではあるものの、性格的には非常にまじめである

ことに私は気づいていた。道を知らなかったり、道をたびたび間違えたりするのは

事実であるが、その場面、場面において、彼は目的地への到着に向って全力を

尽くしていた。後部座席に私の携帯電話が落ちているのを見つけた時には、

すでに深夜であったにも関わらず、引き返して、家まで届けに来てくれた

こともある。

 

私はずっとカルシンと一連托生でやっていこうと決意を固めていたが、そんな

矢先に、勤務先の経費削減策の一環として、二人で一台の車を使わなければなら

ない事になった。結果としてカルシンとの契約が切れることになったのだが、

たった数ヶ月の付き合いであったものの、彼が離れていくことに一抹の寂しさを

感じるのだった。

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