オネショについて考える

私は中学卒業の直前まで毎日のようにオネショをしていた。

朝目覚めるとパンツがびしょぬれ!

 小学三年生くらいになると、もう親の方も気を使ってしまって、

オネショの問題に触れることができなくなっていたのがせめての救いだった。

私は朝こっそりパンツをはきかえ、すっきりした気持ちで登校するのを日課と

していた。

とは言え、どこかにお泊りする時なんかはもう大変。

幼稚園のお泊り会の時には、人前でのお漏らしが嫌さに、私は当日の1週間前

から不安で不安でしょうがなかった。結局、その時は神風が吹いて、

前日から高熱が出、事なきを得たのだった。

 

小五の時には従姉妹の家でカキ氷を山盛り食べ、寝る前に二度も三度もトイレに

行ったものの、翌朝気付けば敷布団までビショ濡れ。

その従姉妹は当時幼稚園生だったため、オネショの犯人が私であることがバレた時

の気まずさといったらなかった。親戚のおばさんは悪臭のために顔をしかめて布団

を干しながら、「まだ、オネショしてるの?」と憐れみとも蔑みとも言える面持ち

で私の親に耳打ちしている。

 

中三のスキー教室でも、十分に気を付けていたものの、寒さがたたったのか大量に

漏らしてしまった。布団を丸めて押入れに突っ込んだので、同室の旧友にばれる

ことはなかったが、もしもあの時ばれていたら、その後同じ中学に通うことは

できなかっただろう。

 

高校に入学し、オネショが自然に止んだ時には、ひとつの人生が終わった気がして、嬉しいやら淋しいやら複雑な気持ちになったものである。

 

オネショをするのはどうしてだろう?

一般的な見解では、オネショにはたぶんに心理的な要因が働いているので、

親の躾けの問題とか、本人の性格が繊細とか、内向的とか、常になにかに怯え

緊張している・・・といった説明になるのだろう。

しかし、中学卒業時点までオネショしていた私に言わせれば、そのような説明は

当たっているとしても、当事者にとっては役立たずの理論と言わざるを得ない。

なぜなら、寝る前にトイレに三度行った上、「オネショをしないように!」と

念じてみたところで、朝起きたらパンツの中身はぐっしょりなのだ。

「なんでそんな年でオネショしてるの?」と言われたところで、しょうがあるまい。

まるで彼らは自分の夢をコントロールしなさい、と言っているようなものである。

しかし、誰が自分の夢などコントロールできるだろうか?

(とは言いながら、私は夢をコントロールできるヨガ行者を知っている。

もっとも彼は先祖代々ガンジス河のバラモン家系であるから、人相見や手相、

足相、占星術などに加えて、夢のコントロールなど朝飯前な訳であるが・・・)

 

話が脱線したが、一般的には幼児でもない限り、オネショ屋さんの所在を掴む

ことは難しいだろう。老人でさえオネショの実態を隠すものであるから、思春期の

少年少女が人前で明るみにすることはまずないと言える。だから、私もこれまでの

人生で、自分以外にはたった一人のオネショ屋さんしか知らない。

 

彼は中一でオネショをご卒業されたのであるが、彼は私学の雄を卒業してから、

大手企業のマッケーターとしてご活躍。その間旅先のインドで身ぐるみ剥がされ、

命からがら帰国したのであるが、その後自営業へ転身し大成功を収めた方である。

彼が長年オネショを他人にひた隠すという経験を通じて、自我を肥大化させたのみ

ならず、人間観察力や自己防衛能力、さらには高い感受性や繊細さを見に付けて

いったことは想像に難くない。

そんな彼の推測によれば、ジョン・レノンやスティーブン・ジョブスあたりも

オネショ屋さんだった可能性が高く、私もその考えにはまったく異論はないが、

いずれにして「おっしっこは流れるままに任せよ」というのが我々オネショ屋

OBの結論である。

同時に、「オネショが長引けば長引くほど将来、金がザクザクと入る人間に化ける

可能性がある」という仮説も立てている訳であるが、この点に関しては今後

さらなる検証が必要になろう。