Serviceという英単語から文化考察

豪州では、銀行やデパートの看板に「Service Time(営業時間)」と書かれている。

あるいは回送中のバスは「Not in service」。5分前に営業時間が終わった

クリーニング屋に行っても、「We finished our service today」などと言って

平然としている。

これが日本であれば、やれサービス精神が足りない、商売気がない、客をなんだと

思ってるんだ、サービス残業くらい喜んでしろ!などど言われ兼ねないが、

海外では客もすんなりそれを受け入れるのが当たり前。

 

私は彼らがServiceという言葉を使う時、個人とは客に対して、会社に対して、

あるいは社会に対してサービスを与える存在である、というニュアンスを感じる。

つまり、なによりも大切なのは個人であるという、個人主義の臭いを感じる訳

だが、私にとってはそれは非常に健全で心地よいものに思える。

(私の知る限り、この個人主義は、西洋だけではなく、中国にもインドにも

あるが、日本には根付いていないところが興味深いところである)

 

もちろん、今や世界中のあらゆる企業が「Customer First(顧客第一)」を

スローガンに掲げ、「わたしはあなたのために」と言い、年中無休のサービスを

している会社もある訳だが、それらは言わば企業方針やマーケティングの話

であり、私が言う個人主義とはもっと彼らの無意識の中にあるDNAのような

ものだ。

 

もちろんどこの国の職場でもプレッシャーやストレスはあり、家に仕事を持ち

帰って深夜まで仕事をする人々もいるけれど、個人は客にも会社に対して一線を

引き、それが当たり前の社会。

その点、日本の場合はまだまだ会社の言いなりであり、海外のように個人は

会社にサービスを与える存在ではなく、会社のためにサービス(お仕え)させて

頂くという立場ではなかろうか?

それは一生涯を会社に奉仕することが前提の終始雇用制の残滓であるように

思えるが、それが急速に崩れていく過程で、「Service」という英単語の使い方

も身につくのかもしれない。