現代のインド

近年になってインドの経済成長が脚光を浴びるようになると、これまで先進

国がインドに対して植えつけた一面的なイメージを払拭しようという声が

識者の間から聞こえるようになってきた。

---先進国の人間がインドに対して抱くイメージ---

神秘の国インド。心のふるさととしてのインド。悠久の大地。母なる河ガン

ジスでの沐浴。聖なるヒマラヤでのヨガ修行。数多くのマスターを生んでき

た精神世界の源。貧しいけれど心の豊かな人々。世界で最も深く物事を見透

すことのできる国民。

識者によると、現代のインドは、もはや先進国の人間がこれまで想い描いて

きたインドではないと言う。インドが経済大国になることを目指して動き出

した今、先進国が失った心の拠所や精神世界の側面だけをいつまでもインド

に求めるのは誤りであると。

事実、現在では総人口の五%超の中産階級の人々は、先進国と変わらぬライ

フスタイルを送っている。コンピューターや家電や自動車を所有し、ファッ

ション雑誌を定期購読し、週末にはイタリアレストランで外食をしている。

そして彼らの多くは先進国の人間と同じように職場での長時間労働や人間関

係に疲弊し、家族との関係による悩みを持っている。

しかしそうは言っても「現代のインドはもはやこれまでのインドではない」

と言ってしまうのは皮相的な見方に違いなかった。

今もってインドでは灼熱の暑さも車の窓をコツコツと叩く乞食の姿もクラク

ションの騒音も一般道での逆走も舌の痺れるカレーの辛さも大気を覆う土埃

もリキシャーマンとの値段交渉もマラリアもデング熱も狂犬病も健在だっ

た。

何かにつけて物事が非効率なのも健在だった。順番待ちは一列ではなく団子

になって行われるのが常であるから、公共の場で、インド人の大衆に混じっ

て行列で並ぶのは牛のような忍耐力と図太さが必要だった。

そして非効率さは、多くのインド人がそうであるように時間の観念の欠如と

結びついているので、インドで無用なストレスを溜めないためには時間の観

念を忘れることが必要だった。遅刻を咎めないこと。納期遅れに腹を立てな

いこと。長談義を楽しむこと。話好きのインド人との議論が終わる頃には

、堂々巡りや議論の脱線を繰り返すうち、そもそもの論点が何だったのか

分からなくなるのが常である。

現代のインドを考える際「神秘の国」のイメージから脱却する必要があると

しても、これまで他国の人間が易々と近づくことを阻んできた

「インドの流儀」は今も健在である。

現代に至っても、インドには、他国の人間にとっては理解を絶するばかり

か、早々に馴染むこともできず、大きな徒労を味わうことになる何物かが

あった。そこでは物事は自らの努力だけでは梃子でも動かないのが常である

から、ひとり水の中で足掻くのは止めて、諦観して大きな時の流れに身を任

せるのがせめてもの生活の知恵となった。

例え、経済の成長によって衣食住や生活環境が改善されたとしても、インド

で日常生活を送るということはあまたの試練を潜り抜ける必要があるのであ

る。