イラン国営航空のパイロット

場所はインドの首都ニューデリー。

生まれて初めての海外旅行で、外国人と触れ合う機会に興奮冷めやらぬ

二十歳の私は、炎天下の中、「コンノートプレイス」というイギリスが

設計したオシャレな場所を歩いていた。

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ここにはニューデリーの中心部でレストランや土産物屋などが

集まっている。

すると、中東風の顔をした中年男が突然声を掛けてきた。

「エクスキューズミー、今何時?」

「1PMですよ」

「サンキュー」

私は歩き続けたが、その男はビッコを引きながら、再び話掛けてくる。

「どこから来たの?」

「ジャパン」

「横浜?」

「えっ・・・なんで分かったの?」

「横浜にパイロットの友達がいるんだよ」

「へえー、あなたもパイロットなの?」

「そう。イランから仕事で来ていて、シェラトンホテルに泊まってるんだ」

「すごい人だなあ・・・」私は汚れたスラックスをはいたビッコの

パイロットが果たして存在するのか、内心訝しく思いながらも、

一緒にお茶を飲みたいという彼のオファーに従うことにした。

彼は門番が立つエアコン付の高級喫茶店に入って行ったが、聞くところに

よれば、彼はダルビッシュという名前の52才で、イラン国営航空の

パイロットをしていると言う。

「君はインドにどれくらいいるんだい?」

「ひと月ほどです」

「じゃあ、私が観光案内をしてあげよう」

「だけど、今夜、アグラーに向けて電車で出発するんです。タージマハール

を見たいんで」

「えっ、それは危険だなあ。あそこは悪い奴が多いんで有名だよ」

突如、パイロット氏は必死に引止め工作にかかる。

「でも、もう切符も買ったんですよ」

「じゃあ、しょうがないなあ・・・でも、帰国はデリーからなんだろ?」

「そうです」

「じゃあ、またデリーで会えるんだね?」

「ええ」

「ところで、今日はこの後、どうするの?」

「インド門とインド博物館に行く予定です」

「それだったら、私が案内するよ。今日は仕事が休みだからね」

私は小銭がないと言って支払をしないパイロット氏を再び訝しく思ったもの

の、その後オートリキシャー代を払ってくれたり、屋台で買った

アイスクリームやチャイをおごってもらったので、猜疑心は徐々に薄れて

いった。

そして日が暮れる頃、私はパイロット氏に丁重にお礼を言って、安宿のある

オールドデリーに向おうとすると、彼はどうしても夕食まで共にしたいと言って聞かない。

「でも、もう時間がないんだけど・・・」

「とにかく安宿まで行こう、マイフレンド!」

パイロット氏は流れのオートリキシャーを呼び止め、大急ぎでオールド

デリーまで向かわせる。そして宿の前の露店で、二人分のタンドリーチキン

を買って、私の部屋まで上がり込んできた。

私は気まずい思いをしながら、彼と一緒に狭い部屋のベッドに腰かけチキン

を食べたが、たとえパイロット氏が変な気でも起こしても、片足が悪いので

なんとかなるだろうと踏んでいた。

ところが、いよいよアグラ行の電車に乗るため、ニューデリー駅に出発する

時間がきても、パイロット氏は私の身体に指一本触れないばかりが、

「夜は危険だから」と言って、ニューデリー駅まで送り届けてくれたのだった。

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「1週間後、再会するのを楽しみにしてるぞ!」

パイロット氏はそう言ってプラットホームで手を振っていたが、私はそんな

彼の姿を見つめながら、邪な考えを抱いた自分自身が情けなくて仕方なかった。

とは言え、長距離列車に乗ってパイロット氏との友情のほとぼりも徐々に

冷め始めると、やはり胡散臭い。

「なんでシェラトンホテルに泊まっている国営航空のパイロットが、ビッコ

を引きながら見ず知らずのバックパッカーに一日中まとわりついて、夜中に

ニューデリー駅で手を振ってるんだ!」

私はアグラーの安宿で知己を得た橘先生(旅の経験が豊富な50才になるこ

の先生は人相見を得意とした)に相談すると、次のようなアドバイスを得た。

「そういうことであれば、彼はモーホーと見て間違いないでしょう」

「やっぱりそうでしたか!」

「しかもかなり老獪なモーホーですな。私欲のために性急な行動をせず、

最小限の出費で相手を油断させ、最大限の効果を得ようという・・・」

「もしも、彼との約束通り、1週間後に再会したらどうなるでしょう?」

「宿のボーイと結託して、ジュースの中に睡眠薬を入れ、あとはご想像の通りです」

そして再会の約束の日となる1週間後の午後8時。

私は瞑目し、ニューデリー駅の雑踏で佇むパイロット氏(そう言えば、

「おしん」のファンだと言う彼は、日本人は決して嘘をつかない信頼の

おける尊敬すべき民族であると言っていた)の顔を想像しながら、

ネパールの日本食レストランでビールを煽りながら、勝利の勝鬨を上げて

いた。電車の到着が何時間も遅れるインドのこと。彼は忠犬ハチ公よろし

く、3日3晩駅前寝ずの番をしていたのかもしれない。

それとも、他のバックパッカー(獲物)を見付けて「今、何時?」と聞いていただろうか?

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