父の死③
父は川崎市立I病院に時々通院していた。
「緩和ケア」科に通っていたが、そこは末期ガンだった
父のように治療の施せないような患者に対してケアを行うところだった。
私は何度もそこの担当医の方や、センター長にお会いする機会があったが、患者(父)に対する暖かな、人間的な接し方に大いに感動を受けることになる。
彼らは、「緩和ケア」患者ということで自宅にまで往診してくれ、他愛もない話や父の昔の仕事の話や趣味の話をしてくれるばかりか、私がシドニーに戻る日にちまで常に覚えているのだ。
担当医はいかにも優秀そうな40代前くらいの方だが、老いさらばえた死期の近い人間にも尊厳をもって接している。
その先生から「3月末に転勤になります」という話を聞いた時には、「そりゃー困るな」と言って父は思わず涙ぐんだくらいだった。
(結局、3月末になる前に、父は逝ってしまったが)
私の知るところ、臨終の前日の日曜日の夜にすっ飛んできてくれた医者も同様で、それまで往診に来てくれた看護婦さんも同様であった。
普段海外で生活していると、日本や日本人の欠点が目につくことが多いけれど、地域の患者に対して全面的、迅速、かつ細やかなサポートを与えてくれるこの病院の医療体制には感動を覚えた。
大病院の医者は、合理的で冷たい、という手前勝手な印象を持っていたが、その先入観は完全に覆された。
それからこのような機会があると、改めて気付かされるのが、看護婦さんの偉大さである。
おそらく20代の人が、亡骸の身体を拭いたり、浴衣を着せたり、薄化粧を施してくれている。このような人々のお蔭で世の中は周り、人は生かされ、旅立つことができるのだろう。