インドのお抱え運転手「ミスター・スカイダブ」

外人相手のインド人私設ドライバーの月給は、八千ルピー(一万六千円)

程度であるが、低賃金の割りに肉体的に過酷な仕事である。

 

たとえば、朝八時に顧客を自宅前でピックアップした後、夜八時に彼が会社

から出てくるまで、ずっと会社の目の前で待機していなければならない。

夜八時にようやく顧客が会社から出てきても、「今から飲み会」と言われれば、

レストランへ移動して、さらに三時間待ちぼうけといったこともしばしば。

 

その間ドライバーたちは車の中やベンチで昼寝をしたり、ドライバー同士で

トランプやバレーボールをして時を過ごしている。

 

ところが、三代目のスカイダブ氏はなかなかのやり手だった。

ドライバーをしながら不動産業を営んでいるが、彼が運転するトヨタの4WD

は会社からのリースではなく、自己の資産であると言う。

同時に、ペットボトルや缶ビールのまとめ買いを日本人に持ちかけては、

デリー郊外にある知り合いの安売店まで車を走らせ、チップを稼いでいる。

「二十四時間、三百六十五日働くことを厭わない」と言い切り、

「車が必要な時は、いつでも呼んでくれ」と言う。

 

とは言え、週末まで彼らを酷使するのは心が痛む。

「日曜日の深夜に日本からお客が来るので車を手配することは可能か?」

ある時、私がためらいがちに聞くと、月収八千ルピーの男は強い口調で

こう言った。

「この世の中に不可能な事など何もない!」

(そしてその日は彼の門弟に仕事を代行させた)

 

40才を過ぎて独身である彼の唯一の慰めは、日曜日に片道二時間かけて

シヴァ神を奉る寺院に参拝に行くことであった。

インドのお抱え運転手「ミスター・カルシン」

住環境が整うと同時に、専属の運転手が決まった。

初代のおしゃべり屋さんは、三日間張り切って仕事をしていたが、四日目の

朝以降、待てど暮らせど姿を現すことはなかった。

ロシア人のお姉さん方がいるという夜の店に連れて行くという彼の誘いに私が

応じなかったことで、私が金にならない堅物であると判断した可能性があるが、

今もって失踪の理由は定かではない。

 

ドライバーの当たり外れは大きく、一年半の間に、十人もの人を解雇した日本人も

いる。その理由は、英語での意思疎通の困難さ(そのように言う彼の英語もお粗末

極まりなかった)、連日の遅刻、水増し請求、暴走、方向音痴、おしゃべり運転、

失踪、性格の不一致など様々のようである。

 

二代目は、初代の失踪により急遽派遣されることになったカルシンという名の男

だった。南インドの出身を思わせる黒い顔をした小柄な男。

カルシンは、初めての場所は言うまでもなく、一度行った所でも、すぐに道に

迷ってしまうという癖があったが、彼のすごいところは、どんなに道に

迷っても、私に指摘されるまで通行人に道を問い合わせることはせず、

知らない道をいつまでも迷走するのである。

「どこまで行くのだろうか?」私は地平線の彼方に沈んでいく夕日にむかって

いつまでも走り続けるカルシンの背中を見ながら物思いに耽る。

「果たして、こんな荒野にレストランがあるのだろうか?」

十五分で行ける所が、一時間以上かかってしまうこともしばしばで、その間、

私は頭の血管が破裂しないよう、目を閉じて「ひーひー、はーはー」と

ハタヨガの腹式呼吸を試みる。

 

ヒンズー語ができない私にとって、彼が英語が全くできないのも困りもの

だった。日系企業相手のインド人のドライバーは、簡単な意思疎通を行える

英語力を持ち合わせているものだが、カルシンの場合、エイトAMとかテンPMとか、

待ち合わせの時間を確認するのがやっと。分刻みの待ち合わせは極力しないように

する。

ある時、空港の到着ゲートでピックアップをお願いしたものの、予定の時刻を

過ぎてもカルシンは現れなかった。

「●△◆●△◆●△◆●△◆」私は彼の携帯に電話したが、彼がヒンズー語で

なにを言っているかちんぷんかんぷん。仕方なく、私の近くに立っていた

見ず知らずの英語を話す男を捕まえ、携帯電話を押し付けると、カルシンと話した

彼はこう言った。「ドライバーは空港の出発ゲートで待っています」

 

インドで暮らすにあたり、ドライバーの能力が日々の快適さを大きく左右すると

いっても過言ではない。私は会社が斡旋したカルシンが自分のドライバーになった

ことに、何とも貧乏籤を引いてしまったものだと暗澹たる気持ちになった。

しかし、それでも彼の解雇を思い留っていたのは、時間の浪費と非効率性は

インドで生活している限り逃れることのできないものであり、そのインド

らしさを象徴しているのがカルシンであると思えたからだった。

インドらしさを受入れることができないとしたら、これから先、インド人や

インドの文化を理解するどころか、インドで生活していくことは難しいに

違いなく、カルシンを解雇した瞬間、私がインドでこれから遭遇するであろう

困難にも対処することができないのではないかと思えたのだ。

 

それに加えて、彼は不器用ではあるものの、性格的には非常にまじめである

ことに私は気づいていた。道を知らなかったり、道をたびたび間違えたりするのは

事実であるが、その場面、場面において、彼は目的地への到着に向って全力を

尽くしていた。後部座席に私の携帯電話が落ちているのを見つけた時には、

すでに深夜であったにも関わらず、引き返して、家まで届けに来てくれた

こともある。

 

私はずっとカルシンと一連托生でやっていこうと決意を固めていたが、そんな

矢先に、勤務先の経費削減策の一環として、二人で一台の車を使わなければなら

ない事になった。結果としてカルシンとの契約が切れることになったのだが、

たった数ヶ月の付き合いであったものの、彼が離れていくことに一抹の寂しさを

感じるのだった。

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コルカタ旅情・カーリー寺院

コルカタの夜は、カルカッタと呼ばれていた昔と同じ夜だった。喧騒止まぬ夜。

安宿のベッドに身を横たえ、目を閉じ、耳を澄ましていると、室外のざわめきが

ひしひしと身に迫ってくる。上階から聞こえる足音。隣室の扉の

ドッタン、バッタン。突然、室内電話が鳴る。なんの電話だろうと思って受話器を

上げると、「ディナーはもう食べたかと?」とレセプションの男の声。

夜の十時を過ぎた電話に腹が立つが、平均的なインド人の夕食時間はこの時間帯で

あったこと思い出す。リキシャやタクシーがひっきりなしに立てるクラクションの

音は夜になっても止むことはなく、路上のスピーカーからは演歌が流れている。

路地裏で遊ぶ子供たちの笑い声もあれば、露天に屯する男たちの声もある。

このやかましさは、まぎれもなくカルカッタ。

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翌朝、カラスの泣き声で目が覚めると、私はカーリー女神寺院にむかった。

ここはヒンドゥー教のカーリー女神が祀られた聖地であり、好戦的で破壊と殺戮を

繰り返す女神の怒りをなだめるため、毎日、あまたの山羊が生贄として斬首される

という。ヒンドゥー教の三大神であるシヴァ神は、宇宙創造の根本原理として、

世界の創造・維持・破壊を司っており、破壊と降伏の神としての暗い側面と、

信奉者には恩寵を施す恩愛の神としての明るい側面を兼ね備えているが、

カーリーはシヴァの暗黒面を司る荒魂とも言うべき女神であるのだ。

 

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寺に通じる門前町の左右両脇には、法要の供え物や祭具などを売る露天が

びっしりと続いているが、参拝客を目当てにした自称ガイドや乞食は路上で蠢き、

いざりや老婆達は路上に座ったまま通りすがりの者にものを乞うている。

 

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寺には八時ちょうどに到着したが、狭い寺の入口には、カーリー女神を祀った

狭い神殿にむかった捧げ物を持った参拝客の長蛇の列ができている。

 

私は小一時間も並んでようやく神殿の中に入ったものの、そこには女神を取り

巻き、その場をなかなか離れようとしない参拝客の渦ができていた。

気の遠くなるほどの人いきれ。私は人波を掻き分け、その渦の只中まで入って

みると、目の前には、墓石のような真っ黒い石の上からどろっとした生血を

思わせる真紅の両目と第三の霊眼を付けた女神が鎮座していた。

石の周りには、女神が餌食とした魔神の生首の輪の代わりにサフランの輪が

飾られている。

 

寺の案内人に聞くと、儀式は九時から始まると言うが、儀式が執り行われる

次の間に目をやると、分厚いバガバットギータを目の前に置き、線香の前で、

胡坐を組んで経を唱えている男がいる。寺の中にいるうるさい物売りを避けるため、

私はこの男の横に坐って目を瞑り、儀式が始まるのを待つことにした。

 

ところが、九時を過ぎても山羊は現れなかった。そこで別の案内人に問うて

みると、生贄の儀式は十時半からだと言う。

私はインド人の部下と九時半から宿で打ち合わせをすると言い残してきた

手前、いったん宿に戻って打ち合わせを簡単に済ませ、十時半までにもう一度

ここに戻って来ることにした。三島由紀夫の「豊穣の海・暁の寺」にも登場する

この儀式を、私は恐れに震えながらも、なんとしても自分の目で見たいという執念

が生まれていたのだ。

 

こうして私にタクシーに飛び乗り、宿にむかったが、幸い道は混雑していな

かった。ところが、タクシーがチョウロンギー通りを北上し、宿のある

サダルストリート手前にある交差点を右折した刹那、羊飼いに追われた山羊の大群

がタクシーめがけて突進してきたのだった。

フロントガラスの目の前には、五十匹は下らないだろうと思われる山羊。

予期せぬ山羊の突進に動転したタクシードライバーは、急ブレーキを踏むと同時に、

山羊にむかって雄たけびを上げた。

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私は部下と合流し、気もそぞろに仕事の用件を伝えると、昼までには帰って

くると言って再びタクシーに乗ったが、この時も渋滞に巻き込まれることはなく、

儀式の始まる十時半までに寺院に到着することができた。

 

しかし、山羊の斬首場所に行ってみると、すでに線香の臭いがあたりを充満し、

何本もの蝋燭が炎を揺らす中、インド人の巡礼者たちが両手を合わせて祈りを

捧げている。私は呆然とその場に立ち尽くしていたが、その場に居合わせた見ず

知らずの寺の案内人が近づいて来て、「予定通り十時に儀式は終了しました」と

言った。

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シドニーでもっとも美しい景色

シドニー暦6年の私であるが、シドニーでもっとも美しい景色は、

マンリーからフェリーに乗ってシドニー中心街にあるサーキュラーキー(波止場)

に向かう船内から見る「夜景」であるように思う。

 

これまで日本から来客がある度、(よほどウェルカムでない人を除いて)

このフェリーにお乗せしているが、企業の重役からコギャルまで喜ばなかった人は

いなかった。天気がよければ、成功確率100%といってよいだろう。

 

片道たった30分の船旅だが、はじめにオーストラリアらしい雄大な山と海と空が

あり、その後シドニー名物のオペラハウスとハーバーブリッジ、そしてネオン輝く

シドニー中心街(シティー)の高層ビルが目の前に迫ってくる。

 

つまり、この船旅の中にシドニーのエッセンスがすべて詰まっているのだ。

 

以下が私のお勧めコースである。

 

①日の暮れる前に、サーキュラーキーから頻繁に出ているフェリーで

マンリー(ビーチ)へ移動。

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②マンリーも美しい観光スポットなので、浜辺を歩きながらステーキレストラン

にでも入って夕食。日が暮れるのを待つ。

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③日が暮れたころ、あるいは夜、波止場に戻り、サーキューラキー行きのフェリー

に乗り、二階にある船頭からの眺めを楽しむ。

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④出港してから15分くらいは周囲は暗闇だが、オペラハウスが見える頃から

一気に怒涛の盛り上がりを見せるため、焦ってはいけない。

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 注意:昼間にこのコースを辿っても、景観の美しさは半減以下となってしまう。

あくまでも、マンリー発サーキュラーキー行きの夜のフェリーに乗ることが肝心。

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 昼間見てもあまりピンとこないオペラハウスも、船から眺める月明かりに照ら

された姿は幻想的である。

インド・エローラ遺跡

アジャンタの前期窟が紀元前1世紀頃、後期窟が紀元5世紀に開かれた

から、756年に工事着工されたエローラはその弟分にあたると言える。 

 

アジャンタが仏教遺跡群であるのに対して、完成に1世紀以上も要した

エローラにはヒンズー教と仏教とジャイナ教の遺跡群が横一列に並ぶ形で

同居している。異なる宗教の遺跡が、同じ場所に仲良く同居しているのは、

宗教に寛容なインドならではの光景だろう。

 

中でも一番の見どころは、エローラ遺跡群の中央に建立されている

ヒンズー教のカイラーセナータ寺院。

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アジャンタでは、遺跡に入った瞬間仏教の「無」の極みを感じて身震い

したが、この寺院の壮麗さと迫力にも息を飲んだ。やはり世界史の教科書に

登場するだけあって、ピラミッドやアンコールワット、マチュピチュ級の

世界遺産と言えるだろう。 

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アジャンタに比べて迫力を増したかに見える仏教遺跡も、世界でもっとも

禁欲的な宗教と言われるジャイナ教(僧侶は全裸で修業)遺跡も思わず人を

静寂の空気に包み込む。 

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(仏教遺跡)

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(ジャイナ教遺跡)

アジャンタ・エローラを巡る多くの旅行者は、オーランガバードを起点にする

だろうが、せっかくそこまで行くのであれば、2日間かけて両遺跡を巡りたい

ところだ。どちらも甲乙つけがたい。

 

私は初日にエローラ、二日目にアジャンタを巡ったが、(静寂の)アジャンタ

⇒(迫力の)エローラの順の方がよいかも知れない。

 

デカン高原の頭上を照らす太陽は熱い。

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チェンナイ旅情

一度旅したことのある思い出の土地を時を隔てて再び訪れる味わいは、

初めての土地を旅する刺激的な味わいとは別のものである。

当時の街や人の姿や空気や臭いが遠い昔の自分の姿と重なって、郷愁と共に、

再び目の前に立ち上がるのだ。

あの時以来、私の人生にはどれだけの変化があったことだろう。この時の流れの

中で、私の中で何が始まり、何が終わったのだろう?

それとも、廻り続けるの輪の中で、今もどこかに向かう旅の途上にいるの

だろうか?それとも時の流れに意味はなく、時は過去から未来へむかって、

川の流れのように茫漠と過ぎ去っていくものに過ぎぬのだろうか?

 

二十世紀の後半に、英国植民地時代の呼称は改められ、インドの大都市における

正式名称は悉く新しいものになった。西のボンベイはムンバイに、東のカルカッタ

はコルカタに、南のマドラスはチェンナイになった。

姓名判断で言われるように、人の人格と名前にはなにがしかの関係があるので

あれば、街の性格と名前にも大きな依存関係があって、そこに住み慣れた人に

とっては、簡単に呼称を変えることができない心理が働くとしても不思議ではない。

今でも旧名称を好んで呼ぶインド人が多いのは、これらの大都市が、歴史の中で

強烈な個性を育んできただけではなく、その舞台で演じた自分の人生が都市の

名前に重なっていることが理由かも知れない。

 

私は今から二十年以上前、灼熱のカルカッタを抜け出し、長距離列車に乗って、

海を求めてマドラスに来たことを思い出していた。

マドラスのセントラル駅に到着したのは夜中の一時過ぎだったが、そんな時間帯

にもかかわらず、南国特有のねっとりとした蒸し暑さが身を包んだ。私は駅前で

拾ったサイクルリキシャー(自転車の後ろに幌のついた人力車)に飛び乗ると、

彼の紹介する安宿に向った。

 

静まりかえった夜中の街を老年のリキシャーマンは急ぐこともなくペダルを

回し続けたが、デコボコ道を揺られながら私は幾つかの光景を見た。甘い匂いの

するたくさんの椰子の木。白いコンクリートの家の窓から漏れるライトブルーの

蛍光灯の光。うっすらとした雲のかかった満月。

そして今、チェンナイ国際空港から市内のホテルに向うタクシーの中で、

私は再び同じ光景を眺めているのだ。

 

翌日、シバ神を祀るカーパーレーシュワラ寺院を訪れた。ピラミッドにように

先端に向って先細りする高さ四十メートルの塔門は、南インド独自のドラヴィダ

文化の建築様式で、原色の艶やかな色彩の衣を着けた数え切れぬほどの男や女や

神々が幾層もの雛壇となって天上に伸びている。その姿は、あたかも塔そのもの

が神話を語っているかのようだ。

 

境内に入ると、ひとりの老年の男が近づいてきて、タミル語で「靴を脱げ」と言った。

入口まで戻り、その脇の管理所に靴を預けると、後ろを付けて来たその男は私に

向って掌を指し出しながら、再びタミル語で何かブツブツと言っている。

ガイドブックで警告されているように、きっとぼったくり屋に違いない。

そう思った瞬間、男は私の手を握り、思い出した英語で「Shake Hands」と言った。

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六本木のガイジンキラー

ところはオーストラリア。

私が職場でパソコンに向かって仕事をしていると、ブライアンがやってきた。

「ちょっといい?相談があるんだけど・・・」

「そんな顔して、どうしたんだよ」

ラグビー選手のような大きな体格にも関わらず、金髪でブルーアイのブライアンは

青ざめている。

「以前俺が東京に出張した時に、六本木で遊んだ話をしたのを覚えているかい?」

「ああ、覚えているよ。ガイジン好きの女が集まるバーかどこかで、若い女と

意気投合して、そのままホテルに行っちゃったって話だろ。ホテルでその女と

はしゃいでいるバカみたいな動画まで見せてくれたじゃないか?」

「実はその女から2ヶ月ぶりにメールで連絡があったんだよ」

「名詞でも渡したのか?」

「ああ」

「東京出張の度にその女と連絡を取ろうと思った訳だな」

「まあ・・・」

「それで?」

「俺の子供を妊娠したけど産んでもいいか?と言っているんだ」

「嘘だろ!?」

「やっぱりそう思うか?」

「もちろんだよ」

「日本人の女でも嘘を付くことがあるのか?」

「悪いけど、いくらでも平気で嘘を付くよ」

「実は俺も嘘だと思ったから、『俺の子供の訳ないだろう!』って言ってやったん

だよ。そうしたら、この女、そんなに疑うんだったら出るところに出てもいいって

言うんだ」

「最悪だなあ」

「そうなんだよ。名刺を渡してるし、彼女の携帯にも俺の動画が入っている

から、フィアンセにバレたら洒落にならないよ」

「結局、今はどういう状況なんだ?」

「何度かメールをやり取りした結果、2週間以内に100万円振り込んでくれれ

ば産まないであげる、というところまで来ている」

「払うのか?」

「ああ・・・」ブライアンは肩を落として続ける。

「彼女が嘘を付いていることは分かっているんだけど、毎日会社のパソコンに

女からのメールが届いて揺さぶられ続けると、ひょっとして本当に妊娠して

いるんだろうか?と不安になるし、100万円ですべて方が付くならそっちの方が

いいって思えてくるんだよ」

「ずいぶん性の悪い女がいるもんだな」

「ああ。まいったよ」

 

今回のケース、より罪が重いのはどちらだろうか?

(酪農国とは言え)白人というステイタスを自覚し、大和撫子の

白人コンプレックスに付け込んだフィアンセのいるブライアンだろうか?

 

それとも好奇心に溢れる異国からの訪問者の下心を逆手に取り、自分も思う存分

楽しんだ挙句、嘘八百で恐喝を行い、日本人全般に対する外国人の心象を悪くさせ

かねない六本木ガールだろうか?

 

罪の深さで言えば、詐欺・恐喝まがいの六本木ガールという気もするが、異国人に

よる大和撫子への破廉恥な行為に抑止力を与えたという点で、彼女の罪が軽減

される余地はないだろうか?

 

そう考えれば考えるほど、お互いがお互いの動画を撮って喜んでいたというバカさ

加減を含めて、ふたりは同じ穴のムジナであるという気がするのである。